とにかく良かった。
舞台装置のシンプルさを感じさせない照明と音楽。コーディーリアの白い服とゴネリル、リーガンの黒いドレス、そしてエドマンドの赤いスカーフ。とても印象的でした。今回のリア王どんなのだろう・・と思っていましたが、さすが幹の会+リリック!カーテンコールで、いっきに涙がこみあげてきました。
メダカ 4号
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期待していました。
事前の勉強会の時講師の先生が、名作のお芝居も時代を反映した終末になることもあるというお話しをして下さったのでどのような終わり方をするのか、なんと二人で楽しみにしていました。原作に忠実な終わり方だったので、訳もなく、ほっとし、重厚な、シェイクスピア劇をたんのうしました。
ひまわり 山内
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シェイクスピアの中
でも四大悲劇のうち、一番の傑作と言われるのが「リア王」だと聞いている。四つも観ていないがハムレットと違って、壮大さと崇高さは確かかも知れない。
親と子の断絶、怒りと絶望、平幹二朗の演技に熱いものを感じた。事前学習会で井上彰(愛大の助教授)先生のお話しを聞いていたせいもあって、難しいと思っていた「リア王」
も善人と悪人がはっきりしていて、身近に感じることが出来た。舞台は意外とあっさりしていたが重厚さはあった。ロビー番の為、松山で観た舞台は雨が降ってアッと思ったが
今治では無理だったのでしょう。残念に思う。しかし、役者さんの演技はどんな所でも変わりはない。十一月、大阪で上演する四大悲劇の一つ「マクベス」の観劇を今から楽しみ
にしている。
CHUCHU
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さすが平さん
パリ―溢れる舞台で、とても楽しかったです。シェイクスピアの悲劇「リア王」を、観劇するのだという重々しい気分でしたが、チョッとおどけた演出や、めりはりのある台詞などで、作品の硬さを全く感じませんでした。むしろ余裕があって、判り易く、少しだけシェイクスピアに近づけました。
土 谷川 めぐみ
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仕事疲れの眠気もとんで
ローレンスオリビエのリア王を勉強会で見た後、はたして平リア王は?古くさい古典のイメージを見事に破った演出に仕事疲れの眠気もとんでいた。照明、音響、はりのあるセリフ、シンプルなセットの中で存在感のある大扉。どれも田舎の小さな舞台であることを忘れさせてくれるに充分だった。ある雑誌の対談で松方弘樹が、「役者というものは、同じ舞台の上であっても、今、演じている役者のじゃまをしてはいけない、自分の存在すら消していなければならない。」と語っていたが、クライマックスでリアとグロスターの白熱する演技のかたわらに、じっと控えている気狂いトム。彼の姿をオペラグラスで追いながら少し理解できたような気がした。やがて自身たっぷりな微笑をたたえながら出演者たちが去った後、興奮ついでに大枚一,五〇〇円はたいてパンプレットまで買っている私がいた。最後に一言。プロゴルファーは、カメラのシャッター音でさえ集中力がとぎれると言いますが、同じように携帯のベル音は、役者さんに対して失礼だと思いませんか?
土 和田正美
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演劇の原点
シェイクスピア劇 でした。シンプルな舞台装置に華麗な衣装。荘厳で、詩的なセリフ。平 幹二郎!まさに演劇とはこれか!と うならせる作品でした。最後尾に座って見ましたが、声がはっきりと聞こえ、役者さんの声の良さに感心しました。また、客席に入り込んだり、歌を入れたりの演出は、私達を喜ばせてくれたと思います。感想会では不満の声が有ることも聞きましたが、「シェイクスピアを見た!」と理屈抜きに喜べる作品だったんじゃないでしょうか。余談ですが、映画「恋に落ちたシェイクスピア」面白いですよ。ビデオが出ています。主役のひげ、あのイチローが真似したと私は思っているんですけど。みなさんも見てみてください。
エメラルド 阿部
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ほんとうに面白かった
芝居が始まって間もなく、黒澤明監督作品である映画「乱」が頭の中をよぎった。そう言えば「乱」は「リア王」をベースにしたものだ。黒澤明は他にもシェイクスピアの「マクベス」を「蜘蛛巣城」として映画化しているがどちらも出演者たちの鬼気迫る演技や演出に圧倒された名作だった。平幹二朗さん演出によるこの「リア王」はお芝居の醍醐味を充分に満喫させてくれた。芝居が進むにつれてあの頭をよぎった映画のことなどはすっかり忘れてしまった。面白い、ほんとうに面白かった。シェイクスピア独特の台詞まわしが随所にちりばめられながら 親子の、主従の、兄弟の、姉妹の人間関係の葛藤が巧みに語られていくこの見事さ。また、コスチュームにしても 善人は白、悪人は黒をそれぞれ基調にして文字通り色分けしていたのもわかりやすい演出の方法だった。藤木孝さんのミュージカルもどきの歌が聞けたの収かくだったし、御詠歌もどきの歌もあった。そして、何よりも 平幹二朗さんを中心に出演者のひとりひとりが自分の役を真剣に演じていたことにこの芝居に寄せる意気込みを感じたのは私だけではあるまい。ああ、芝居って本当に本当にいいもんですねェ。
巻雲 渡辺宏
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ご苦労さまでした
小学生頃少女雑誌で「リア王」を読んだ時は自分が三女であったせいかコーデリヤに思い入れをしたものでした。わからず屋の父と腹黒い姉達、何とかわいそうなコーデリアといった考えでした。しかし、60才になって観た「リア王」は全く違った視点になっていました「リア王」は自分にもできる老後の間題と思いました。財産を分けした途端に親が邪魔になる子供 子供の気持ちの変化が読めない親それが悲劇につながって行くというケースはシェイクスピアの時代から現代まで続いてる人間の業といったものでしょう。リア王はどうすれば安楽な老後が過ごせたのでしょうか。お芝居を観られた方々はどのような答えをだされたのでしょうか。前の席はあまり冷房がきていませんでした。出演者の皆様熱い中での熱演ご苦労様でした。
黄金 たかえ
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「ブラボー!」
「ブラボー!」「ブラボー!」あまりの感動に、言葉が思いつかないぐらい。いくら拍手を贈っても、この喜びを表現できない。事前学習会で、愛大の井上彰助教授から、平さんよりもっとレベルの高い俳優が演じているというビデオを観せて頂いた。確かに上手い。どんなにその役者と平さんとの差があるんだろうと思っていた。が、平幹二朗のリア王は、すばらしかった。三人の娘への愛情テストでは、最愛の娘コーデリアに対するあふれんばかりの愛のまなざしと、「Nothing」という彼女の思いがけない言葉に、一転したリア王の怒りが心憎い程表現されていた。重臣のグロスター伯爵の私生児エドマンドに扮する平岳大と平親子共演も見ごたえがあった。今、しばらくは、感動の余韻が続いている。
ダイアナ1 杉岡圭子
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「リア王」
あまりにも有名なシェイクスピア日本でどこまで言葉を理解でき演技ができるか、やはり日本人は無理かな。国はもちろん時代も違い過ぎる。日本人風にアレンジしすぎて、言葉の意味をむしろ理解できていないのではないか。言葉の意味をじっくり理解できてこそのシェイクスピアの作品ではないか。時代もその国の背景で観る側が創造しながら観劇するようにもっていったほうがよかったと思うけど!辛口批判であります失礼
はてなの人
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「リア王」劇評
何年も前から熱望していたシェイクスピア四大悲劇の一つ「リア王」の観劇が、やっと実現した。しかもリヤを平幹二朗、重臣グロスターの子エドマンドを平岳大と、親子の共演。とても興味深く観ることができました。岳大は背が高くハンサムで、舞台の「華」的存在感があり、大役を一生懸命演じて大変好感が持てた。いずれは劇団を背負って立つ役者になるだろうと感じた。この二人以外も、若手からベテランまで多彩な役者が周りをかため、演技力に加え声もよく通り、席が後ろのほうも堪能できたのではなかろうか。会員の観劇率の良さに加え、新会員が四〇名あったということは、名作と名優に接したいという気持ちの現れだったと思われる。シェイクスピアの時代には、広場の真中にある舞台を観衆が取り囲んで観ていた。従って、舞台装置はほとんど無く、場面や情景は、役者の演技やセリフから、観衆の個々が想像しながら観劇していたとのこと。このような背景で産まれた作品を現代風に生かすことを考えてか、舞台装置や役者さんの衣装にも、地味ではあるが無駄のない、計算されたセンスの良さがあった。ここにも、平幹二朗の手腕が見て取れた。ところで、七月十三日、愛媛大学の井上助教授を今治にお招きし、「リア王とシェイクスピア」の事前学習会を開催したことは成功だったと思う。参加者の方は、内容がよく分かり、観るのにも聞くのにも力が入り、面白さも倍増したのではないでしょうか。今後も、お芝居によっては、事前学習会を企画したいと考えています。「リア王」は、人の愛、特に親子の愛の行き違い、口先だけでは真実は判らないということがモチーフになっている。これは現代でも身近にあるテーマの一つだと言える。そうゆう意味からも、心に残るお芝居であったと思うとともに、シェイクスピアの不滅さと偉大さを、あらためて思い知らされた一夜であった。
白石芳子
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