残る余韻をそれぞれが深く受け止めている 言葉で表現するには 重みに包まれて、軽々しく今日のお芝居良かったね、と言葉にすることが出来ない課題の大きさに、残る余韻をそれぞれが深く受け止めている1時間20分の上演、いつかははなやかな舞台でマクベスを演じたかった老優の悲哀、生死の岐路に立ちながら、その俳優としての誇りを失わず演じる喜びにうちふるえる姿には、それまでの怠情な自分の気持ちが吹っ飛び我を忘れていました。 生きることを意味の深さをこれほど格調高く表現できる人は外に居ないのではー小さなコマーシャルで思わず含み笑いが出る大滝秀治様、今でよりも尚一層の大フアンになりました。 ご高齢の由暑さに負けないで、その素晴らしいお芝居を全国の人に観せてあげて下さい。 言葉で表現するには私の筆はあまりに拙なすぎるからです。 紅いバラ 杉原節子 |
なんで? 最後に、「俳優だ。」と、言わなければ、生きていられたのに、なんで「私は俳優だ!!」と言ったのか不思議だった。 自分なら、絶対に生きてもう一度俳優をやると思う。 老人の気持ちがよく伝わった。 15歳 阿部 |
一世一代の場面は圧巻 巨匠は大滝さんのために用意された作品だったと思います。演技の神様に魅入られた様な、役者で有る事を証明する、最後の一世一代の場面は圧巻でした。 後でお聞きしたところに依ると、絶が付く体調不良だったそうでが、微塵も感じさせませんでしたし、感じませんでした。 きっと大滝さんにも、演技の神様が、降りてらしたんでしょう。 地味なお芝居でしたが、遠くから来たと判る靴の汚れ方とか、細部に拘った佳い作品でした。 瀬音 瀬野久美子 |
芸術への執念 強すぎた執念 芸術家の運命、それは危機的状況になってはじめてわかるもの。 芸術家だけでなく、私たちにもそれは十分いえるんだと思った。 芸術への執念、とても強い、強すぎた執念がその人をおいこんでしまったのかも知れないと思った。 匿名女性 |
ありがとうございました。 作者が木下順二で、主役が天下の大滝秀治さんと南風洋子さんとなれば期待すること大である。 そして、音楽は林光、民藝公演である。時は1944年で、場所はワルシャワ、重苦しい第二次世界大戦下での様子が、これでもか これでもかと劇を引っ張っていく。 このお芝居を見ながら、何故か私は映画「戦場のピアニスト」を思い出して、劇の進行と重ねていた。 あの様な戦争に巻き込まれないで平和に過ごしている私達。 平和な時代に生きている今現在の幸せを私達みんながもっともっと感じるべきなのだろうか? 今回中ホールで上演だったのだけれど、もしも公会堂のような大ホールで見たら印象がちがったかも知れない。 また、1時間20分という短い時間の中にギッチリつまった内容だけに、もっと説明する時間がほしかったように思われてならない。 それにしても大滝秀治さん、花束をもらって帰るときよろけたのはお年のせい?それとも演出? ありがとうございました。 巻雲 渡辺宏 |
《劇評》 大滝さんの情熱と気迫 役者さんの声の聞きずらさはありましたが、それをカバーして余りあるほどの演技力、特に大滝さんの情熱と気迫で、一気に観客を引きつけ、クライマックスへと持っていき、終わってしまうという、テーマを際立たせた、感動の余韻を残す、すばらしい舞台だったというのが、一致した感想でした。 出だしの真っ暗な空間、ピアノの生演奏、ゲシュタポと兵士の出現、彼らのしゃべるドイツ語、銃撃の音などの、臨場感を醸し出す演出や79才という高齢で、体調もかんばしくないなかで、人の心をつかむ演技ができる大滝さんの役者魂は、凄い!と思われました。 また、セリフの意味がわかりにくかった、最初の芸中劇の場面の三つの時代に亘る複雑さをもう少し簡明にした方がいいのではないか、という声もありました。 ほととぎす 窪田 |
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