最前列の一等席で観られて、赤シャツさんの表情がとてもよくわかりました。 痛烈な二十一世紀の日本人への警鐘でしたね。 赤シャツのような日本人は本当は今欲しい。もちろん、山嵐も。 矢野利雄 |
「坊ちゃん」を裏返して見せてくれ、大変楽しかった。小説坊ちゃんは余りに善悪をはっきり描き、山嵐・坊ちゃんが善人、赤シャツを悪人として、楽しいが味気ない。今回は赤シャツに対する同情、哀愁が演出され、共鳴しました。 まだまだ 羽賀 |
赤シャツの今まで思っていたイメージが変わり、身近な感じで楽しく観る事が出来ました。昔読んだ小説をまた開いて見ようかと・・・思っています。 えだぼり 白石千鶴 |
全くパロディーを想像して開幕を待った。ところが始まって10分とたたないうちに漱石の坊ちゃんとは全然別の物だと気づかされた。 見事な演出である。 さすが、マキノノゾミと感心・感動! 役者さんが粒ぞろいなのもすばらしい。 役得ででもあろうが、山嵐役の大家さんと赤シャツの弟の武右衛門訳の高さんの動きがスゴイ! 特に山嵐は最高! 今後に期待したいものだ! また、ウシ役の今井和子さんが出てくるたびに笑いとホッとする間があって、なかなかうれしかった。 赤シャツというタイトルにした作者の意図がなるほどとうなずかされる。 回り舞台の活用により、場面の転換がスムーズで、見るものをたいくつさせない演出も○であった。 小道具では、明治のころの蓄音機が最高!よくぞ見つけてきたものよと感心する。 2時間半を越える大作だったが、最後まで見るものを引きつける演出は、すばらしかった。有難うございました。 巻雲 渡辺宏 |
「赤シャツ」は松山が舞台なので、自然と親近感を覚えながら観ることが出来ました。 とにかく、面白可笑しくリラックスして時間の経過も忘れていました。キャストの個性が明確でメリハリがありテンポが良かった。 当時流行していた赤シャツ。そしてどこから見ても当世流円滑紳士の中学校教頭赤シャツは、帝大卒業の文学士。この流行を教頭の呼び名にした漱石の思い入れがそして学歴にも表れていようです。 赤シャツは八方美人的で、複雑にゆれる人間心理描写が巧みに表現されていました。悩める赤シャツに同情さえ覚えずにはいられませんでした。 ウシと赤シャツの息の合った掛け合いはヒューマンで舞台を盛り上げていました。 兄(赤シャツ)の徴兵忌避が町の噂になっていて、それに常日頃女性問題でとやかく言われている赤シャツに対して弟(武右衛門)がついに爆発し、と取っ組み合いが始まる。この演技に注目しました。 なぜなら、最近息子と自分があることで取っ組み合いしたからです。怪我をさせてはいけないが、真剣にぶつかることはある絆を感じるものです。 資料によると、漱石もある時期北海道に本籍を移していて、徴兵を免れていたようです。懺悔の念があったのでしょうか? ねむの花 O生 |
赤シャツがつぶやく詩。 劇中ではうらなりが訳した「巨人引力」という詩。 実は、「我輩は猫である」に登場する誌である。 「巨人引力」 ケートは窓から外面をながめる。 小児が球を投げて遊んでいる。 彼らは高く球を空中になげうつ。 球は上へ上へとのぼる。 しばらくすると落ちてくる。 彼らはまた球を高くなげうつ。 再び。 三度。 なげうつたびに球は落ちてくる。 なぜ落ちるのか、なぜ上へ上へとのみのぼらぬかとケートが聞く。 「巨人が地中に住む故に」と母が答える。 彼は巨人引力である。 彼は強い。彼は万物を己の方へと引く。 彼は家屋を地上に引く。 引かねば飛んでしまう。 小児も飛んでしまう。 葉が落ちるのを見たろう。 あれは巨人引力が呼ぶのである。 本を落す事があろう。 巨人引力が来いというからである。 球が空にあがる。 巨人引力は呼ぶ。 呼ぶと落ちてくる。 引力という目に見えぬ力。 普段は気にかけることもない引力。 神とも思える大いなる力と秩序。自分ではどうしようもない、めぐり合わせや、すれちがいさえも巨人引力の成せる業かもしれない。 「赤シャツ」や「うらなり」「山嵐」に「坊ちゃん」、「野だいこ」に「狸」まで自分の中にいる気がする。「巨人引力」の詩もいつまでも心に残るような気がする。 エメラルド 阿部 |
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